AVRIL [勝野睦人遺稿詩集]
AVRIL
春が来て、忘れていた太陽がポケットから出て来た。僕はいっさ
い思い出してしまった……
窓には、見覚えのある雲ばかりが浮かんだ。退屈して、僕は散歩
にでた。けれども、どの坂道を登りつめても、たずねた家家しか見
あたらなかった。顔みしりの子供たちばかりが石蹴りしていた。電
柱も、板塀も、野良犬のしっぽも、みな僕の記憶で汚れていた。
僕は景色をみくびってしまった。やさしい算術の答案のように。
空は空、夕焼けは夕焼け、ポストはポスト、そうして僕たちの秘密
は、僕たちの秘密ーーだれに添削する根気があろう。ひとはただ、
黙って見まもってさえいればよいのだ。
日が暮れると、あちらこちらで、街燈がわるい噂をともした。僕
はふと、あの娘の名前を立ち聞いたりした。すると、そんな時だけ
僕の心は、なにかのまちがいに気づくのだった。それは、三日月の
誤謬でもなかった。星たちの計算ちがいでもなかった。
ただ、わけもなく、問いただしてみずにはいられなかった。あれ
はなに……あれは倉庫の白壁。それはなに……それは僕の孤独。
余所見ばかりして歩いていたので、僕は、形而上学の脚に蹴つま
づいた。そうして、いっさい忘れてしまった。
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