育男あて 一二・十三 (その3) [勝野睦人書簡集]
僕には二通りの「僕」があります。一人はあなたとお喋りをし、
下宿のマダムと喧嘩をし、一人のお上りさんの眼にふと映ずる
「僕」ーーそれは僕というよりも、むしろ単なる人影に過ぎない。
外套の裾をひるがえして馳せ去る、あわただしげな行人に過ぎな
い。この二つの場合の、どちらが本当の「僕」かといえば、かえっ
て僕は後者だと思う。そうしてそのお上りさんがもし詩人だった
ら、僕の「存在」は見抜かれていた筈だ。外燈、プラタナスの落
’ ’
葉、紙屑、旋風(つむじかぜ)……そういったものだけとかかわり合っている「僕」
ーーそういう「僕」が見抜かれた筈だ。その「僕」には勿論性格な
どない。そんなわずらわしいものはない。性格とか、ポケットの中
の小遣いとか、あなたとか(失礼)、順三郎の詩とかいうものは、も
う一人の「僕」にだけかかわるものです。行人としての「僕」の唯
一の意味は、黒いオーバーをまとっていること。それだけに過ぎな
い……そんな気がします。
以下、その4に続きます。
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