育男あて 一二・十三 (その4) [勝野睦人書簡集]
だが「旅人かへらず」の作者の眼には、その黒いオーバーこそ貴
重なのです。
渡し場にしゃがむ
女の淋しき
これは曲者の二行です。この寂しさを不注意に、「待ち人」の淋
しさなどととったらとんでもない誤解だ。そういう人情的なリリシ
ズムは一かけらもない。この作者にとっては「はしばみの実」も、
女のうずくまっている姿も同じなのです。この「女」は、あの鮎川
氏の「ブイ」のように、作者のヴィジョンのさなかで燃えている影
です。なんの影かーーそれは作者の言うように「永遠」の影だとし
ましょう。だが本当は、作者自身の影かもしれない。「淋しい」の
はむしろ作者なのかもしれない。「旅において出会うのは常に自己
自身である」③から……。だとすれば、この詩行にはコレスポンダン
ス(交感)があります。和歌で言う「実相観入」という奴です。
僕はあの詩集をこんな風にしか読めないこんな風といってもこれ
だけではなく、まだいろいろとあるのですが、今のところ整理がつ
かない。その内に又お手紙しましょう。
この書きなぐりの手紙を出ししぶっているところへ、あなたのお
’
葉書が舞い込んできました。詩集をじゃんじゃん読まれるとか、い
’ ’ ’
い傾向です。安西均の「花の店」という詩集がでている筈、あれを
ぜひ買いなさい。損はしません。
あなたの雪どけが待ちどおしい。本当に待ちどおしいです。では
睦 人
十二・十三
育 男 様
①②③は三木清氏の言葉。彼は他にもうまいことを言います。
「健康が恢復期の健康としてしか感じられないところに、現代の根本
的な抒情的、浪漫的な性格がある。」
僕はセンパイの顔を思い出しました。(無論これは冗談です)
注:僕はあの詩集をこんな風にしか読めないこんな風といっても の2回目のこんな風は「こん風」となっており、脱字と思いましたのでなを加えました。
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