在間扶美子あて [勝野睦人書簡集]
(在間扶美子あて)
先日は絵はがきをありがとう。とても楽しく拝見しました。鹿児
島へは、僕は一度いってみたいと思っていますが、その暇もお金も
なさそうです。旅行といえば、去年の夏、京都奈良を二、三日でま
わった位で、後は信州と東京の間を往復しているだけです。
僕は東京の街が好きです。しかしその愛し方には、多少変ったと
ころがあります。いわば「局外者の愛」というのでしょうか。もっ
・・・・・・・
とてっとりばやく言ってしまえば、僕は東京に住んでいるだけで、
充分に旅をしている気持がするのです。
あなたの詩、是非みせて下さい。それから、御自分の懐であたた
めてだけいないで、どしどし投稿することをお勧めします。「文章
クラブ」など、いかがでしょうか。僕もあの雑誌にかつて投稿した
ことがあります。では
竹下育男あて 32・4・2 [勝野睦人書簡集]
(竹下育男あて)
御無沙汰申し分けありません。僕は明後日の朝上京します。こち
らで嫌な事ばかり続出した後ですので、あなたにお行き合い出来る
のがとても楽しみです。詩のことはここ二十日程、故意に忘れてい
ました。だから今度のロシナンテにも、旧作を載せることになりそ
うです。
そちらはもうすっかり暖かでしょう。信州もぼつぼつというとこ
ろです。でもこの土地の魅力的な時期は、なんといっても二月頃で
すね。土地全体が、いくつかの丘陵から出来ているので、それらが
むき出しの時がよいわけです。夏には樹木がおい茂るために、輪郭
が見失われてしまいます。
僕のアトリエの窓から見える図のひとつは、獣の背中を思わせま
す。田中武好みの不気味なものです。中腹は桑畑と雑木林で被わ
れ、頂の一部分だけが墓地になっています。大小数々の石塔がずら
りと並んで、夕日に白く浮き出している様なぞ、見方によっては美
しいものです。この土地には、こういった墓地がいたる所にありま
す。竹藪の蔭、坂道の脇、段々畑の片隅などに、五つ六つの石塔を
並べただけのものもあれば、傾斜地を一面に埋めつくしているのも
あります。どちらの印象もしかし明るく、はればれとしています。
藁屋根や水車と同様に、すっかり自然の景物になり澄ましたこの石
の群れは、もう個々の死者のことなど忘れているようです。ときとし
てそんな一群にまざって、馬頭観音の石碑があります。又、殆んど
形をなさない地蔵像もみえます。こうしたものたちをじっと見てい
ると、素朴な人々の信仰が、石というものにどれ程たやすく結びつ
ものかが、わかるような気がしてきます。石の依怙地な沈黙ほ
ど、人間をなぐさめてくれるものはないようです。では
32・4・2
岡田芳郎あて 32・3・24 [勝野睦人書簡集]
(岡田芳郎あて)
三日にこちらに帰ってきました。朝からアトリエに籠って絵を描
いているーーといいたいところですが、実は何もしていません。ぼ
んやり外の景色ばかり眺めています。南信は丘陵の多い地方です
が、僕の窓からもいくつか見えます。それらの中腹には墓地があ
り、南側の斜面は多く桑畑のようです。墓地といっても、ただ竹藪
の陰に、五つ六つの石塔を並べただけのものです。時として夕日を
浴びたりすると、それが遠くから光ります。白い、獣の歯並のよう
です。桑畑はひどく殺風景です。曇天の日も、晴れた日も、無気力
な灰色に被われています。けれども、傍まで行ってみると、桑の枝
は一本一本、針のように空に突き立っています。それを見るたびに
僕が思い出すのは、「枯草の中の針」、「麦藁」という二つの言葉で
す。これはある分裂症の少女の洩らした苦痛の象徴語ですが、この
桑の木の枝も、もっと比喩的な意味で、彼女達のような人々の苦痛
を物語ってはいないでしょうか。今、狂女をテーマにした詩を書い
ています。どうせ僕は常識人ですから、成功する筈はありません
が。
[×] [×]
又、いつかお行き合いできる日を楽しみにしております。上京は
来月の八日頃になる見込みです。では
<追> 合評報告はいかがでしたか。
32・3・24
育男あて 三月十二日 [勝野睦人書簡集]
今日はひどく風の強い日です。午前中射しとおしていた日が急に
翳って、粉雪がちらちら舞いはじめました。アトリエの北窓から見
える仙丈ヶ岳の峰は、深い雪に被われています。そのふもとに、無
数の民家がちらばっています。丘陵があり、森があり、墓地があ
り、僕の通っていた高等学校も見えます。それ等はひどくひっそり
としています。この風景のなかにかきこまれたことを、まるで意識
しているかのようです。
おはがき先刻受け取りました。合評会の模様を想像して、行けな
かったことが今さら残念でした。あなたが山田氏を嫌うのもよくわ
かる気がする……。それにしても、どんな話し合いが行われたの
か、今から報告が楽しみです。
こちらでも僕も「生活人」です。「家族」という社会組織の一員
です。そのために煩わしいことも便利なこともあります。でも僕の
場合、日常生活の中で触発される「かなしみ」や「怒り」は、詩に
も文章にもならないために、そのまま僕の胸底に沈潜するようで
す。僕達の日常意識と詩との関係ーーそんなこともいつか話しあっ
ってみたい……。好川さんなんか、きっとうまくいっていますね。
浅井さんの「ドイノーの悲歌」を取りよせました。日数をかけて
熟読してみました。解釈がとてもとても鮮かなので、学者という奴
は頭のいいものだと、今さらのように呆れました。「金閣寺」その
他……恐縮です。
睦 人
三月十二日
育 男 様
これは一昨日書いた手紙です。もう少し何か書こうと思っていた
ら、日数がたってしまいました。今報告を受けとったところ……
(御手数をかけてすいません)「感想」がいろいろと沸いています。
いずれ又、お便りしましょう。では、皆さんによろしく
在間扶美子あて 三月八日 (その3) [勝野睦人書簡集]
僕は「秋の日」よりも「豹」の方が好きです。「豹」は新詩集中
の傑作でしょうね。「歌われた」というよりも「組み立てられた」
ような感じ。豹を外部から描写するのではなく、その内部を自己の
内部と重ねて描きだす方法ーーそれはロダンに教えられた
ものです。
リルケの「ロダン」をお読みですか。あれはロダン論というより
も、むしろリルケ自身の散文詩のようなものです。あれと「マルテ
の手記」を熟読してみると、リルケの住む「力学的空間が」きっと
直覚されます。もうそうなったらシメたものです。以前難解だと思
った一部の詩も、すらすらとあなたのこころに受け入れられるでし
ょう。だが、それは思ったより労力のいる仕事ですが。
今日はこの位にしておきます。なお御返事のおくれたこと、お詫
びします。さようなら
睦 人
三月八日
在間扶美子様
(追) ◇山登りーー本格的な(?)山登りはあまりしません。で
も、小さな山には登ることがあります。
◇木の葉の栞、ありがとう。
◇こちらには三月一ぱい居るつもりです。
(乱筆あしからず)
在間扶美子あて 三月八日 (その2) [勝野睦人書簡集]
リルケは僕にとっても広すぎる土地です。僕が耕したのはそのご
く僅かでしょう。しかしその僅かな部分だけは、「僕のリルケ」に
なりきっています。誰の解釈でもない僕の観たリルケに。それは普
遍的なものではないかもしれない。が、普遍的な理解などというも
のは、詩には不可能でしょう。どうかあなたも、「あなたのリル
ケ」を造りあげてください。
リルケの数ある詩集のなかで、一番親しみ易いのは形象詩集でし
ょう。「秋の日」はその中でも有名ですが、僕の好きなのは「ガイ
ゼル橋」「花嫁」などです。「花嫁」はリリックとしては最高でし
ょう。(尾崎喜八訳「リルケ詩集」(角川書店)発行に出ています)
この詩集にある詩はまた一番やさしく、「神」の問題抜きでも読み
こなせます。が、新詩集のなかで展開するあの独自の空間ーー物と
こころ、外部と内部が互いに呼びかけあうような世界ーーの芽生え
が、そこかしこに、すでに見られるようです。このことに注意して
読まないと、リルケを誤解します。事実あまたいるリルケファンの
中には、単なる抒情詩人としてしか彼を知らない者が、随分大勢い
るようです。
以下、その3に続きます。
在間扶美子あて 三月八日 (その1) [勝野睦人書簡集]
お便りありがとうございました。丁度帰省する矢先でしたので、
ごたごたしていて御無礼しました。あの台東区の住所は実は下宿先
なのです。家族はみなこの飯田市におります。だから学校が休暇に
なると、いつでもこちらに帰るのです。飯田市は長野県といっても
一番南よりですので、冬でもかなり暖かです。それでも山国特有の
澄み渡った空気は、北信とすこしも変りません。僕のアトリエの窓
からは仙丈ヶ岳が見えます。いまは深い雪に被われています。
以下、その2へ続きます。
便宜上、わけさせてもらいました。
竹下育男あて 32・3・8 [勝野睦人書簡集]
(竹下育男あて)
帰省してもう五日になります。気ばかりあせっていて何も手につ
きません。一月そちらで書いた詩を整理しただけ。それもほんの
三、四篇です。明日あたりから少し奮起して、自画像か静物を手掛
けようと思っています。
ロシナンテは今 受取りました。御手数をかけて恐縮です。一通り
り読んでみた印象では、Ⅹ号よりややレベルが向上した感じ。面白
い詩が多いです。あなたのは、少しイメジが散らばりすぎたようで
す。読者の想像力をずたずたにする一方。その意味では不親切な作
品です。
十日には行けるかどうかわかりません。もし行けなかった際に
は、皆さんによろしくお伝え下さい。
32・3・8
在間扶美子あて 32・3・1 [勝野睦人書簡集]
(在間扶美子あて)
お便りありがとうございます。僕の詩がとおいところで、あなた
のような、ひとりの共感者をもったということーーそれはうれしい
し、不思議なことです。
作者と作品とは別々に生きていて、作品は、作者の知らないとこ
ろで、勝手に悪戯をしているーーそんな気もします。
「言葉」はずるくて、いじわるです。本当の「意味」からすぐ抜
け出してしまう……。そういう彼等のよい先生になること、それが
詩人になることかもしれません。
でもやっぱり「言葉」は通じる。僕の詩も、どこかの岸には、か
ならず流れつくのだーーと、そんな自信もわいてきました。では
32・3・1
久保田広志あて 32・2・28 [勝野睦人書簡集]
(久保田広志あて)
いま下宿のマダムから、君の来てくれたことを聞いたところだ。
君はまだ、御徒町の近所にいるかもしれない。だって、君がここを
出てから、五分と過ぎてはいないのだもの。まったく運が悪かった
なあ。
まあそれは致し方なしとして、僕の散らかし放題の部屋を見られ
たのには弱った。毎日あんな生活をしていると思われそうだ。何も
弁解することはないけれど、今日のはやや「特別」なのだ。あすま
でに書きあげなければならないレポートがあるので、徹夜で本棚を
ひっかきまわしていた矢先。まずいところを見られてしまった。だ
が(あれはあれというのかな、これというのかな……君の立場にた
てばあれだな)僕の精神生活の一面でもあるのだ。そしてそれは、
決して「怠惰」の一面ではない。これは君もわかってくれると思
う。しかし俗な連中はそうはとらない。だから(そんなことは君は
しないと思うが)ひとには口外しないでくれ給え。特に同郷の奴ら
にはね。じゃあ又 郷里で会おう。
32・2・28