育男あて 三月十二日 [勝野睦人書簡集]
今日はひどく風の強い日です。午前中射しとおしていた日が急に
翳って、粉雪がちらちら舞いはじめました。アトリエの北窓から見
える仙丈ヶ岳の峰は、深い雪に被われています。そのふもとに、無
数の民家がちらばっています。丘陵があり、森があり、墓地があ
り、僕の通っていた高等学校も見えます。それ等はひどくひっそり
としています。この風景のなかにかきこまれたことを、まるで意識
しているかのようです。
おはがき先刻受け取りました。合評会の模様を想像して、行けな
かったことが今さら残念でした。あなたが山田氏を嫌うのもよくわ
かる気がする……。それにしても、どんな話し合いが行われたの
か、今から報告が楽しみです。
こちらでも僕も「生活人」です。「家族」という社会組織の一員
です。そのために煩わしいことも便利なこともあります。でも僕の
場合、日常生活の中で触発される「かなしみ」や「怒り」は、詩に
も文章にもならないために、そのまま僕の胸底に沈潜するようで
す。僕達の日常意識と詩との関係ーーそんなこともいつか話しあっ
ってみたい……。好川さんなんか、きっとうまくいっていますね。
浅井さんの「ドイノーの悲歌」を取りよせました。日数をかけて
熟読してみました。解釈がとてもとても鮮かなので、学者という奴
は頭のいいものだと、今さらのように呆れました。「金閣寺」その
他……恐縮です。
睦 人
三月十二日
育 男 様
これは一昨日書いた手紙です。もう少し何か書こうと思っていた
ら、日数がたってしまいました。今報告を受けとったところ……
(御手数をかけてすいません)「感想」がいろいろと沸いています。
いずれ又、お便りしましょう。では、皆さんによろしく
コメント 0