SSブログ

久保田広志あて  32・2・28  [勝野睦人書簡集]





   (久保田広志あて)


 いま下宿のマダムから、君の来てくれたことを聞いたところだ。

君はまだ、御徒町の近所にいるかもしれない。だって、君がここを

出てから、五分と過ぎてはいないのだもの。まったく運が悪かった

なあ。

 まあそれは致し方なしとして、僕の散らかし放題の部屋を見られ

たのには弱った。毎日あんな生活をしていると思われそうだ。何も

弁解することはないけれど、今日のはやや「特別」なのだ。あすま

でに書きあげなければならないレポートがあるので、徹夜で本棚を

ひっかきまわしていた矢先。まずいところを見られてしまった。だ

が(あれはあれというのかな、これというのかな……君の立場にた

てばあれだな)僕の精神生活の一面でもあるのだ。そしてそれは、

決して「怠惰」の一面ではない。これは君もわかってくれると思

う。しかし俗な連中はそうはとらない。だから(そんなことは君は

しないと思うが)ひとには口外しないでくれ給え。特に同郷の奴ら

にはね。じゃあ又 郷里で会おう。

  32・2・28











nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

片桐ユズルあて  32・2・15 [勝野睦人書簡集]





   (片桐ユズルあて)


 原稿がおくれてしまってあいすみません。うまく間に合うといい

のだれれども……。詩も絵もかきかけのばかり多くて、困っており

ます。これもそんな中から引き抜いてきて、少し手を加えてみたも

のです。完成したというより投げ出した形……僕の詩はみんなそう

です。しかしその「投げ出す」最後の踏切りがいつもうまくゆか

ず、苦心します。



 この間のお手紙にはとても得るところがあり、いろいろと今考え

ております。Dikinson の詩は全く知らない僕ですけれど、あなた

の引用された詩句は素敵です。「物」と「感情」とのミックスの仕

方が、とても気に入りました。

 いま特にひかれている詩人は、リルケとトラークルです。では

  32・2・15









nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

福沢隆之あて  32・2・13 [勝野睦人書簡集]





 今、日暮里のガード下の、ちいさな喫茶店に入っています。名前

は「らめーる」。シャンソンが細々とかかっています。時折省線の

通る音がそれをかきけし、トーフ屋のラッパが翻弄します。もとも

と、喫茶店という奴は一種の「虚構」で、そこに楽しみもあり退屈

もあるのに、ここは現実を遮断しきれず、半分だけはうけ入れてい

るようです。丁度一枚のガラス戸に、室内と戸外の景色がうつるよ

うに、ここでは雰囲気がダブっています。だから部屋隅のシュロの

鉢も、壁からつき出している髭だらけのランプも、嘘をつきそこな

った子供のように、大変口惜しそうです。でもそんな中途半端なと

ころが、かえって洒脱で、僕の気持にはうってつけです。冷えたコ

ーヒーを前にして、ここに小一時間も居すわっていたら、なにか、

奇抜な「存在論」でも書けるかもしれない。そんな気もします。で



 あしたは美学概論の試験、あさっては教育原理のレポート提出日

ーー考えると少々陰ウツになります。

 △暗いところで書いたので、乱筆悪しからず。 △それから君の

ことを何にもきかないなんて、ひどいはがきですね。この次、ちゃ

んとしたのを書きます。 お体を大切に

  32・2・13












nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

栗原節子あて  32・2・13 [勝野睦人書簡集]




   (栗原節子あて)



 今明け方の四時半頃です。日課がメチャメチャにあれています。

僕には「習慣」というものがつかないらしい。これは恐ろしいことで

す。

 ところでその後お元気ですか。鵠沼の春先はいかがです。ここへ

きて僕は部屋の中ばかりに閉じこもっているので、季節からおきざ

りにされたようです。でも、何か思い出せそうでいて思い出せない

気持ーーあの春先特有の気持にはふとおそわれますが……。

 昨夜「純白の幸福」を読んでみました。リルケの短編小説集で

す。「墓掘り」とか「最後の人々」とかは立派なものです。でも星

華派的すぎてへこたれるのもあります。初期の作品集だから仕方あ

りません。まあ小説の方はともかくとして、彼の詩は僕には絶対的

です。彼は何もかも「視て」しまう人です。音楽さえも「視て」し

まいます。例えばこんな具合にね。

  私たちの/消えてゆく心の方向のうえに/垂直に立っている時

  間よ……



 それから「沈黙」するということの重要性を、僕は彼に教わりま

した。「沈黙」は壺のようなものです。「言葉」はその破片でなけ

ればならない。僕達の手に「沈黙」が重くなって、思わずそれをと

り落した時、「言葉」はうまれる。それが詩になる本当の「言葉」

だ……。そんな風に僕は考えています。

 もしお暇があったら、一度遊びにいらっしゃいませんか。今月の

二十三日まではこちらにいます。その間だったらいつでも結構。お

待ちしています。では

  32・2・13












nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

岡田芳郎あて  一・二八  (その2) [勝野睦人書簡集]





 僕のことばかり書いて恐縮です。名古屋のその後のご様子お知ら

せください。

 河野さんとシャンソンを合作されたお話、ききました。あなたに

はシュヴァリエのうたうような chanson fantaisiste を作る資格が

あるのかもしれない。無論この場合の fantaisiste は、「幻想的」

の意味ではなく、「気まぐれな」「奇想天外な」意味を指すわけで

すが。

 おしまいに、リルケの詩をひとつ書き写しておきます。あるいは

御存知かもしれませんが。(一九二四年の作、悲歌完成後の作品で

す)好きな詩は解説することがむずかしいので、かえってひとに見

せたくなります。見せて「つまらない」と言われてもさびしいけれ

ど、「いい詩だ」といわれてもやはりさびしい。「僕だけのリルケ

だ」というおかしな気持が、どこかにひそんでいるからでしょう。

だからそういう気持をぶちこわすためにも……。ご感想をおきかせ

ください。



    果 実                   R・M・リルケ


  それは土の中から果実をめがけて 高く 高くのぼっていった

  そして静かな幹のなかで沈黙し

  明るい花のなかでは炎となり

  それからあらためてまた沈黙した



  それは久しい夏の間

  夜となく 昼となく 働いていた樹のなかで 実を結び

  関心にみちた空間に向って

  殺到する未来としての自覚をもっていた



  けれども いま 円熟する橢円の果実のなかで

  その豊かになった平静を誇るとき

  それは自らを放棄して また たち帰っていくのだ

  果皮(かわ)の内側で 自分の中心に向って



 あ、それにもうひとつ、やはりリルケの詩の中の言葉で、竹下氏

がスゴク感激していた一行があります。

  讃め歌の国の中をのみ許されて嘆きはあるく

彼がモーツァルトを語りはじめた時、僕がもち出してきたのです。

もっとも、少しまちがえて言ってしまったかもしれない……。とに

かく大好きな一行です。では また

                            睦人

 一・二八

岡田芳郎様











 雑誌では、詩 果実のところ、リケルになっていましたのでリルケに直しました。








nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

岡田芳郎あて  一・二八  (その1) [勝野睦人書簡集]





 お便りをお便りをと思っているのに、なかなかペンをとる暇がみ

つかりません。ときおりとおいひととお喋りがしたくなっても、言

葉がいうことをきかないのです。結局、だれにも出せないような手

紙がうまれてしまう……。

 今、リルケにとりつかれています、日本人の詩はだれも読む気に

なれず、高野喜久雄と安西均とをわずかに覗く程度。田村隆一なん

か思い出すのもいやです。

 以前に僕が知っていたのは、リルケの詩の方法だけなのだという

気がします。今は、もっとちがったものが、僕の眼の前にひらけて

きました。彼のいうコレスポンダンスの意味がやっと解けたようで

す。そして彼の神様というのも。一旦彼の世界に立入ってしまうと

僕自身の内部が急に塗りかえられたように思われ、とてもじっとし

ていられません。はやくはやく信州へかえって、春先の山にでもの

ぼってみたい。「自然」とか「大地」とかいう言葉の意味を、本当

の感動でみたしてみたい。そして人間と樹木とが、どんなにちがい

またどんなに似通っているかを、たしかめてみたいーーそんな気が

します。

 彼の詩ーーギリシャ神話ーーボンベイの壁画ーーフォーゲラーの

絵ーーそしてまた彼の詩。そんなあかるい連想の輪のまわりを、僕

の毎日がかけめぐっているようなのです。でもその中心には、何が

仕掛けられてあるのかまだわかりません。











以下、その2へ続きます。

便宜上、わけさせてもらいました。








nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

育男あて 一・二十五 [勝野睦人書簡集]




   果 実                   R・M・リルケ

  それは土の中から果実をめがけて 高く 高くのぼっていった

  そして静かな幹のなかで沈黙し

  明るい花のなかでは炎となり

  それからあらためてまた沈黙した



  それは久しい夏の間

  夜となく 昼となく 働いていた樹のなかで 実を結び

  関心にみちた空間に向って

  殺到する未来としての自覚をもっていた



  けれども いま 円熟する橢円の果実のなかで

  その豊かになった平静を誇るとき

  それは自らを放棄して また たち帰っていくのだ

  果皮(かわ)の内側で 自分の中心に向って



 最近みつけたリルケの詩です。未発表詩集の内におさめられてお

ります。一九二四年の作。「悲歌」が完成した後のものです。



 僕は文句なし「オ手アゲ」ですが、あなたはいかが?日曜日に

感想をきかせて下さい。

 僕が淀縄さんの詩にああいうことをいうのも、こんな詩を読んで

いるからです。「描写する」のでもなく「歌う」のでもない。これ

はいわば「つみかさねてゆく」詩です。



 でもリルケの詩をささえているのは、やっぱりドイツの自然です

ね。フォーゲラーの縄を御存知ですか? 彼ん好んでかいたあの瘠

せた白樺、とおい城塞、こんもりとしげった大きな森が、リルケの

詩の背景になっているようです。それからベックリンのかいたあの

海や空も、シュトルムの小説の中にでてくる荒廃した庭も、彼の詩

と意外に関係がふかいーーそんな気がします。それらには、浪漫

的、抒情的といった言葉ではかたづけられないものが、かくされて

いるような気がするのです。デューラーの描いたドイツ女の顔に

は、誰かに見据えられているような表情があります。ドイツでは山

も河もみんな、あんな表情をしているのではないかーー僕の勝手

な空想です。では

                       ムツト

  一・二十五

 育男様

















nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

久保田広志あて  32・1・17  (その2) [勝野睦人書簡集]





        [×]            [×]

 初等科になると今度はフランス語で教える。クラスにはフランス

人の教師のつくのと、日本人のとがあるが、無論とるなら前者にす

べきだ。僕はレダンジェというマダムに習った。背の低い、鼻筋の

とおった、やせぎすの、疳高い声の持ち主。ちょっと鳶を思い浮か

べて困るが、仲仲の美人だ。゛Attendez!”(待って)を連発する癖

あり。教科書は初等和訳科と同じものを使う。しかもやっぱりA・

B・Cから。だが、ここでは発音が主なのだ。特にレダンジェ女史

は発音がうるさい。en、an、un、on、といった鼻母音の練習ーーこ

れが一時間続く。蓄膿症になりそうだ。しかし、授業はともかくと

して、フランス人にじかに接することが出来るのはうれしい。僕な

んかその為に通ったようなものだ。外人は実に身軽だ。そして僕達

より動作のテンポが数倍もはやい。あれなら、椅子や机の上に飛び

上ってもおかしくはない。ところが日本人の教師がそんなことをし

たらーーきみ、考えてみたまえ。あの宮沢氏やダルマが……それこ

そ笑い事でさえなくなるだろう。

 それにもうひとつ。だれがなんといったって、彼女は海を渡って

きたのだ。渡り鳥のように。ーそう思うと不思議な感動を覚える。

        [×]            [×]

 まあこういったところでカンベンしてくれ。はなはだゾンザイな

手紙で恐縮だけれど。

 なお、規則書を同封しておく。サヨウナラ

  32・1・17












nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

久保田広志あて  32・1・17  (その1) [勝野睦人書簡集]





  (久保田広志あて)



 どうもまた返事がおくれてしまった。失敬。あやまる。アテネ・

フランセは今度は二月が新学期だ。予科というのは多分初等和訳科

のことだと思うが、これはあまり面白くない。しかしA(アー)・B(べー)・C(セー)か

ら始めるのだったら仕方がない。この科に入学すべきだ。日本人の

教師が日本語で教える。教師によってはよく指名する。だからサボ

ったりすると恥をかく。フランス語の動詞変化という奴は実にめん

どうくさいが、めんどうくさいではすまされない。切手かマッチ箱

でも集める気になれば、少しは楽しい。’etre’と’avoir’の変化が

すむと、あとは会話だ。緑色の表紙の教科書には、馬鹿気た会話が

満載されている。「ココニ椅子がアリマス。ソノ上二ワタクシハ本

ヲ置キマス。本ハドコニアルデショウカ?ーーハイ先生、ソレハ椅

子ノ上ニアリマス」まったく正気の沙汰とはいえない。











以下、その2に続きます。











nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

節子あて   一・一六 [勝野睦人書簡集]





 先達てはお手紙ありがとうございました。イヴエット・ジローの

独唱会のキップ、昨日入手しました。彼女は僕の好きなシャントウ

ーズの一人ですが、あなたのおかげで、その生の声が聞けるなん

て、こんなうれしいことはありません。ただ、あなたが、ご一緒で

ないのが残念です。

 お約束の雑誌をお送りします。今度ようやく活版になったばかり

で、育てあげてゆくのはこれからの仕事ーーあなたも遠くの方から

どうかごらんになっていて下さい。では、お身体を大切に

                        睦 人

  一・一六日

 節子様












nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。